大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

名古屋高等裁判所金沢支部 昭和35年(う)215号 判決 1960年12月17日

被告人 吉原清数こと川瀬喜義

主文

原判決を破棄する。

被告人を懲役拾参年に処する。

原審における未決勾留日数中弐百四拾日を右本刑に算入する。

理由

本件公訴事実は「被告人は昭和二十三年十二月三十日頃、それまで働いていた滋賀県伊香郡余呉村土木建築請負業石田留吉方の土工の仕事を辞めて、当時福井県足羽郡社村加茂河原専永寺に間借りしていた父川瀬喜一の許に戻り昭和二十四年一月一日頃より同月四日頃までの間父に対し多賀たみ子との結婚及び父の許に起居して福井市内で働くことを願つたが、これが承諾を得られなかつたことに不満を抱き、幾分自暴自棄となり、同月五日父の許を出て、翌六日予て知合の福井県三方郡西田村食見吉岡きの方に赴き同家に泊つていたが、同月九日午前六時頃同家寝室に寝ていたところ、吉岡きの(明治十一年三月十日生)より『あにや起きにやいかん』と言つて起されたが、起きることを渋つていたところ、同女が『名古屋へ行くなら行く様に仕度をしなきやいかん、何時までもぶらぶらして居て貰つては困る、米や金がなくなるから早く何処かへ働きに行け』と出て行けと言わんばかりのことを言われたので、これに憤慨すると共に、同家を出ても今更親元には帰れず働く所もなく所持金も僅かであつた為、こゝに同女を殺害して金品を強奪せんことを決意し、突然立上つて同女が頭にかぶつていた日本手拭を取り、其の手拭を同女の首に巻き、一重に結んで其の両端を両手に握つて強く引張り、同女を絞殺した上、同室に敷いてあつた同女の敷布団の下より、同女の現金数百円在中の巾着一個及び其の北隣の六畳の間の長持の中にあつた同女の衣類六、七着を取り出してこれを奪い、右金品を強取したものである」(罪名並罰条、強盗殺人、刑法第二百四十条後段)というにあり、原判決は右の公訴事実につき、被告人が金品強取の犯意をもつて吉岡きのを殺害したと認めるに足る証拠がない旨判示した上、殺人及び窃盗の二罪を認定し、殺人罪については被告人を懲役八年に処し、窃盗罪については公訴時効が完成したとして被告人を免訴する旨宣告したことは所論のとおりである。

所論は、原判決が強取の犯意を認めなかつたのは、判決に影響を及ぼすこと明らかな事実誤認である旨主張する。よつて原判決認定の当否を審究する。

原判決は右認定の理由を詳細に判示するため「当事者の主張に対する判断」の項の二において「強取の目的の有無について」と題し、先づ被告人の司法警察員、検察官に対する供述調書合計十通においては、被告人は吉岡きの殺害の犯意を生じた際に金品強取の犯意をも有していた旨の自白と、同女殺害後逃走の際に初めて金品窃取の犯意を生ずるに至つた旨の否認の供述とが交錯している点並びに被告人が原審公判廷において右同趣旨の否認の供述をなしている点に照し、被告人の矛盾する供述は相互に其の信憑力を減殺するものと説示し、次いで情況証拠に関し(一)ない(三)の項に分けて説示し被告人の供述するところを諸般の情況証拠に照せば、結局同女殺害の際に金品強取の犯意が存した点について合理的な疑が残るものと判断し、此の点につき証明なしと説示していること原判文に徴して明らかである。

よつて原判決説示の順序に従い被告人の捜査官に対する各供述調書及び原審公判廷における供述につき考察することゝするが、之に先立つて本件の特徴たる被告人検挙の端緒をみるに、原審にあらわれた資料並びに当審における証人宮前徳市の証言を綜合すれば昭和二十四年一月十日敦賀地区警察署は被害者吉岡きの殺害の報に接するや捜査の結果犯人を被告人であると割出し指名手配したのであるが、其後沓として行方不明のまゝになつていた(被告人は其の間愛知県新潟県等に転々と住居をかえていた)ところ、其後十年余を経過した昭和三十四年当初福井県警察本部は重要未検挙事件一掃のため再び被告人の所在捜査に着手した結果、被告人が昭和二十年八月豊橋区裁判所において戦時窃盗罪で懲役参年の処罰を受けた際の指紋と昭和三十一年三月半田区検察庁において火薬類取締法違反で起訴猶予処分を受けた者の指紋が符合するところから、被告人が吉原清数と偽名し其の本籍生年月日等をも偽称していることが判明し、遂に昭和三十四年六月十一日逮捕されるに至つたものであることが認められる。而して右逮捕の翌日たる同年同月十二日附司法警察員に対する被告人の供述調書によれば其の第五、六項において被告人は「(昭和二十四年)一月九日の朝早く僕が目を覚した時には既におばあさんは起きて米をといだり等して朝食の用意をしていました。僕は目を覚したまゝ寝床の中に居りました。そうしていると、おばあさんが寝間に入つて来て『ながらく、いつまでもこうしていると米やお金も無くなつてしまうから名古屋の方へ行つて働いたらどうだ、ぶらぶらしていてもしようがない』というような事を申したので僕としては今更親元へ帰るわけにも行かず、また勤先といつても目当てもありませんし、どこへ行くにも金が無いし、いつそのこと此のおばあさんを殺して金でも少し持つて行こうかという悪い気持を起し、ついこのような結果になつてしまいました。今考えますとなぜ此のような大それたことをしてしまつたのかと自分の胸に釘を打たれるような気持で一ぱいです。(此のとき被疑者は声をあげてむせび泣き、暫し泣きくずれて供述が中断した)このように悪い気持を起して僕は寝床から起き上ると同時に寝間に入つてきたおばあさんをいツ気に手拭で首を締めて殺してしまつたのであります(中略)おばあさんがぐつたりとなつて息が止つたのを見て、いつもおばあさんは敷ぶとんの下へ財布を入れて隠してあるのを知つていましたから早速その敷ぶとんの下を探したら財布が見つかりました(中略)中をあらためる暇もなく其のまゝポケツトにねじ込みました。それから奥の間に行き長持の中から着物を七、八枚位出して、自分が持つていました風呂敷に包んでおばさんの家を飛出しました」なる旨供述し、初めから金品強取の目的を以て吉岡きのを殺害したことを自白しており、殊に右自白は被告人が悔悟の真情を吐露し歔欷涕泣しながら供述した事が認められ、而かも被告人は、同年同月十三日附検察官に対する弁解録取書第四項(記録五〇一丁五〇二丁)右同日附裁判官の尋問調書(記録五四六丁)同年同月十六日附検察官に対する供述調書中第三項(記録五二七丁五二八丁)同年同月二十九日附検察官に対する供述調書中第十六項(記録五四〇丁)においても同趣旨の自白を繰り返していることが認められる。然るに他面において被告人は司法警察員に対する同年同月十九日附供述調書第一、二項(記録四九五丁)及び原審第一、七回公判調書中の供述では金品強取の犯意を否認する供述をなしていること、同年六月十三日附検察官に対する供述調書第十七項においては「私は現在どういうわけで同女を殺す気になつたかその時の気持は判りません。或は同女方から出ても親許には帰れず、また就職の目当もなく所持金も僅かであつた為め同女を殺して同女の金品を盗る心算になつたかも知れません」なる旨の曖昧なる供述をなしていること(記録五一八丁五一九丁)が認められる。原判決はこれらの被告人の供述には一貫性がなく、矛盾した供述の存することは相互にその信憑力を減殺するものであり、又その供述は犯行後十年余を経過したもので強取の目的という被告人心裡内について正確な供述を期待し得ない事情にあり、殊に取調官を異にする都度其の供述が変るのは被告人の言う如く捜査官に迎合的に供述した結果と見られないこともないとして右自白を排斥していること原判文に徴して明らかである。併し乍ら殺人又は強盗殺人等のいわゆる重罪事件において犯人が行方をくらましているような場合には通常該犯人は捜査当局の追及の手をのがれるべく苦悩し続けると共に犯行時の追憶と良心の苛責に日夜さいなまれるものであり、斯かる状態のもとに心身共に疲れ果てた犯人が遂に捜査官に逮捕された場合には、其の逮捕直後においては却つて安賭の心境を得て贖罪懺悔の気持から捜査官に対し真実を吐露した供述をなすことが多いものであるから、他面勾留日数の経過に伴い自己及び妻子其他の家族の生活ないし前途の不安を憂ふると共に自己に重刑の科せられることを虞れる等自己擁護の心理的動揺から、曩になした自白をひるがえすに至ることは屡々見られるところである。之を本件についてみるに、被告人は前認定のとおり犯行後十年余を経過して漸く逮捕されるに至つたのであるが、其の間吉原清数なる偽名を使用して愛知県新潟県等に転々居住し捜査官の追及をのがれていたものであるが、其の間被告人が自己の脳裡に焼き付けられた吉岡きの殺害当時の犯行の追憶と良心の苛責にさいなまれたことは、被告人が捜査官に逮捕された翌日(昭和三十四年六月十二日)司法警察員に対し歔欷涕泣しながら犯行を自供した前記供述調書の記載に照して推察するに余りあるところである。(又被告人としては其の十年余に亘る逃亡中において、犯行発覚に備えてあらかじめ如何に弁解すべきかにつき考慮をめぐらし得る十分な余裕があつたものとみられるところ、((犯人がかような考慮をめぐらすことは屡々見られるところである))被告人が逮捕された当時一片の弁解がましい供述をなした事跡も見られない点も被告人の右の心情を裏付けるものと謂えよう。)更らに其の翌日(昭和三十四年六月十三日)作成せられた検察官の弁解録取書、裁判官の勾留尋問調書における被告人の犯行自認の各供述記載も亦被告人の右の如き心境のもとになされたものであることを窺知するに難くない。然るところ被告人は其の後において金品強取の犯意を否認するに至つたものであること前記説示のとおりであるが、前記自白の供述をひるがえして之を否認するに至つた動機について、特段の事情の認められない本件においては、自己の刑責の少しでも軽きを願う人情の自然と自己及び妻子等の行末を考慮する心理的動揺に其の根拠を求めるのが前記説示に照して相当である。被告人の供述の変遷矛盾が右の如き被告人の心理に基くものと理解するときは、原判示の如く「矛盾した供述の存在は相互に其の信憑力を減殺する」ものと考えるべきではなく、むしろ逮捕直後の深刻な懺悔的自白に十分なる信憑性を認めるべき筋合となる。してみれば被告人の供述が犯行後十年余を経過したものであつても強取の目的という被告人の心理について原判示の如く正確な供述を期待し得ないものと考えることは、事案の真相から遠ざかるものと謂うべく、又当審証人宮前徳市同羽田輝夫の各証言に徴すれば被告人を取調べて夫々其の供述調書を作成した警察官は右の証人二名であるけれども、被告人が右の取調官に対し迎合的供述をなした事実は毫も認められないばかりでなく、司法警察員に対する被告人の各供述調書中に前記説示のとおり否認の趣旨の供述記載の存することは被告人の自供するまゝに録取せられた事実を裏付けるものであるから、原判示の如く「取調官の異る都度其の供述が変るのは、被告人が弁解する如く捜査官に迎合的に供述した結果であると見られないこともない」との判断は失当であると評せざるを得ない。此のことは、当審における証拠調の結果殊に証人羽田輝夫の証言によれば、同人は強盗殺人被疑事件として被告人を取調べるにあたり曩に被告人を取調べた司法警察員宮前徳市録取にかゝる被告人の供述調書を読み、被告人には金品強取の犯意があつた旨の供述記載の存することを知り乍ら、被告人が右犯意を否認する供述をなしたに拘わらず、其の相反する供述の不一致につき敢て被告人を追及することなく其の供述するまゝに調書を録取した事実が認められるところからも之を理由づけることができる。

次に原判決によれば右強取の目的の存否につき被告人の右供述調書のほか情況証拠についても(一)ないし(三)に分けて説示しているから、此の点に関する原判決の説示の当否につき吟味を加える。

即ち原判決は情況証拠の(一)において、本件犯行前の情況として被告人は昭和二十三年十二月三十日頃当時の働き先であつた滋賀県伊香郡余呉村土木建築請負業石田留吉方の土工の仕事を辞め福井県足羽郡社村専永寺に間借りしている親の許に帰り、正月を過し其の間父親に対し予て相思の間柄であつた多賀たみ子との結婚及び父の許に起居して福井市内で働くことを願つたが、いずれも反対されたことに憤懣を抱き、半ば自暴自棄となつて昭和二十四年一月五日僅かの現金(名古屋までの汽車賃位)を持つて家を飛び出し被害者吉岡きの方に身を寄せた事実を認定しているのであり右事実は原判決挙示の証拠により肯認するに十分である。次いで原判決は被告人が被害者方から出されても親許に帰れないこと、働く場所もないこと、自暴自棄の心境、所持金が僅少であること等の事実は必ずしも強取の目的の情況証拠と理解されるものではなく、単純な殺意の情況証拠と見る余地もあり、又被害者の死後金品窃取の意思を生じたとも解し得る旨説示していること原判文上明らかである。なる程抽象的理論としては原判決の説示も誤りであるとは謂い得ないけれども、併し乍ら原判決挙示の証拠(同項(二)に掲げる証拠をも含む)及び川瀬なつをの司法警察員に対する供述調書第三、五項(記録四二丁)を綜合すれば被害者吉岡きのは身寄のない老令の一人暮しで其の生活は要生活保護者として当時月四百円前後の扶助料と近隣の同情により手内職等をして細々としたもので其の生活程度は最低であり且つ其の性格が口やかましく慾深であつた事は、近隣の者は勿論被告人自身も曽て被害者方の納屋に起居していたことがあり充分に其の間の事情を了知していたものであることが認められるのである。従つて被告人としても吉岡きのが被告人の長期滞在を喜ばず早晩立退きを要求されるであろうことは初めから十分に認識し覚悟していたものとみるべき筋合であるから滞在四日後の朝(昭和二十四年一月九日)吉岡きのから立退を求められたからといつて、唯それだけの事情で直ちに同女を殺害しなければならぬ程逆上する合理的理由はないのであつて他に之を決定づける理由がなければならないのであるが(此の点は次に説示する)之を肯定せしめる合理的な理由があるならば、原判示の掲げる前記情況証拠も亦強殺の目的の情況証拠として適切なものと謂うことができるのである。

次に原判決は同項(二)において、吉岡きのが最低生活を営む要生活保護者であるから被告人としては同女を殺害してまで金品奪取の挙に出る必要を認め難く、又同女は老令の一人暮しであるから之を殺害しなくても奪取の目的は容易に達し得る事情にあつた旨説示していること原判文上明らかである。併し乍ら原判決挙示の証拠によれば被告人が親許を出る際に所持していた金員は僅少であつて而も之を吉岡きの方を訪ねる汽車賃等に一部費消し、其の当時被告人はいわば無一文に近い状態であつたと言つても妨げないことが認められるのであるから、被告人としては取り敢えず名古屋迄の旅費と仕事を見付けて収入を得るまでの数日間の生活を支えるだけの金があればよかつたわけで、又そのためには僅かな金でも被告人としては是非共之を必要とし、其の欲求は差し迫つた強度のものであつたことを推認するに難くないのである。斯様な金銭的缺乏の事情のもとでは吉岡きのの貧富の如きは到底問題とはなり得ない。原判決挙示の証拠殊に原審第七回公判調書中被告人の供述記載及び被告人の司法警察員、検察官に対する各供述調書によれば、被告人は吉岡きのを殺害する前から同女が敷布団の下から巾着を出し入れするのを目撃していたし、若干の衣類を所有することも知つていたし、又それ故に同女を殺害した後、之に引続き急遽それらの金品を奪取している事実が認められるのであるから、右巾着内の金額がたとえ数百円の額であつたとしても当時の被告人の欲求を満足させるに足るものと謂わなければならない。けれども右のような事情のもとにあつて被告人が吉岡きのに対し現金の借受ないし提供を求めたとしても貧乏で慾深の同女が之を承諾してくれず拒絶されるであろうことは之を推測するに難くないのであるから、被告人が同女から「ぶらぶらして居て貰つては困る。早くどこかへ働きに行け」と云われた際、筋道として被告人の主観において差し迫つた金銭的欲求と必要性を満足させるためには尋常一様の手段ではかなわず、勢い兇行に及ばねばならぬが、之には急遽身柄逮捕の危険がつきまとうから、之を免れるためには逃亡の時間を稼がねばならぬ。斯様な思考が突嗟の間に被告人の脳裏にひらめくとみても決して経験法則に反する不自然不合理なものではない。こゝに強殺の犯意ないし目的の動機について其の合理的理由を見出し得るわけであつて、斯様に観察するのが事案の真相であると思料される。従つて原判決の「被告人は吉岡きのを殺害してまで金品奪取の挙に出る必要を認め難い」とか「同女を殺害しなくても容易に金品を奪う目的を達し得る」というが如き理論は抽象的理論としては兎も角具体的な本件事実認定の筋道から隔るものと考えられる。

更らに原判決は同項の(三)において、吉岡きのは以前被告人を養子にしたい意向をもらしていた程被告人と気が合つた間柄であり、自暴自棄の気持を抱いて訪ねた被告人を心よく迎え、六、七、八日と同室に就寝し、その間被告人は被害者方の養子となり被害者方に起居するといつたいわば希望的な観測を抱いていたとも窺われるのに、突然被害者から出て行けがしに言われたので当時二十三年という若年であり且つ短気な被告人が激情にかられるまゝに被害者を殺害することはあり得る旨判示して金品強取の犯意を否定していること原判文上明らかである。なる程原判決挙示の証拠によれば昭和二十一年十二月頃被告人が吉岡きの方納屋に起居していた当時一人暮しの吉岡きのは被告人の父親川瀬喜一に子が多いところから被告人を養子に貰いたい意向を洩したこともあり、被告人もよく吉岡方へ遊びに行つていた事実は認められるけれども、川瀬喜一の検察官に対する供述調書第九項(記録三九丁四〇丁)川瀬なつを、髭源蔵の司法警察員に対する各供述調書(同四二丁以下、五四丁以下)の記載によれば右養子縁組の件は間もなく立消えとなつたのみならず、其後音信不通となり吉岡きのも被告人等の同居を好まず被告人も亦吉岡を好んでいなかつた事情が認められる。叙上の各認定事実から被告人が欲の深い最低生活の吉岡きのの家に魅力を感じたとは到底認められないところであるから、原判示の如き被告人が吉岡きのの養子となつて同人方に起居することを希望していたとの認定は不合理であり、又左様な目的で被告人が吉岡方を訪問したものとみることも不合理である。(むしろ被告人は父の許を飛出してみたものゝ所持金もなく、職もなく、住む家もないところから、以前居住したことのある吉岡きの方を想い出し、とりあえず同女方に一時泊めて貰い、場合によつては多少の金銭でも貰い受けて立ち去るつもりで訪ねたにすぎないとみるのが自然であろう。)又原判示の如く些細な事に立腹し、かつとなる短気な性格を有し、半ば自暴自棄な心情にあつた被告人が吉岡きのの言に憤慨逆上し激情にかられたものであつても、叙上の各説示する情況のもとにおいては、本件犯行当時の被告人の犯意の内容より特別に金品強取の犯意のみを除外すべき合理的理由は見出し得ない。原判決の説示においては被告人の否認の供述を一概に排斥すべき理由がない旨判示していることが認められるけれども、それは被告人の弁疏に眩惑せられた結果、証拠の価値判断を誤るに至つたものと考えられる。

以上説示するとおり原判決は被告人の供述並びに情況証拠に対する価値判断を誤つた結果事実を誤認し延いて法令の適用を誤るに至つたものと謂うべく右の誤は判決に影響を及ぼすことが明らかである。検察官の論旨は理由があり、原判決は破棄を免れない。よつて刑事訴訟法第三百九十七条第三百八十二条第三百八十条に則り原判決を破棄し、同法第四百条但書により当審において自ら判決する。

罪となるべき事実は理由の冒頭にかゝげた本件公訴事実と同一である。

之を認めた証拠は(標目略)

を綜合して之を認める。

法律に照すに被告人の判示所為は刑法第二百四十条後段(強盗殺人罪)に該当するから、所定刑中無期懲役刑を選択する。併し乍ら前掲証拠によれば被告人は(一)本件犯行後未だ刑事上の処罰を受けた事がなく(二)内心的には大きな苦悩と反省を重ねてきたものであり(三)専ら日頃の行状を慎しみ平和な家庭生活を営んでおり、(四)且つ本件犯行より起訴まで既に十年以上を経過し刑事訴訟法第二百五十条第一号に定める公訴時効の期間も完成に近づいていた事情等諸般の情状において憫諒すべきものがあるから刑法第六十六条第六十八条第二号により酌量減軽をなした有期懲役の刑期範囲内において被告人を懲役拾参年に処すべく、原審における未決勾留日数中弐百四拾日を刑法第二十一条に則り右本刑に算入し、原審及び当審における訴訟費用は被告人が貧困のため之を納付することができないこと記録上明らかであるから刑事訴訟法第百八十一条第一項但書を適用して其の全部を被告人に負担させないこととする。

以上の理由により主文のとおり判決する。

(裁判官 山田義盛 辻三雄 内藤丈夫)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例